22 名前: |・∀・) ◆lCQS9mvwPw 04/03/08 16:12
ID:eOQTC7PK >>943のつづき(としたほうが話のつながりがよいかも) こういったことがあっても、中国は朝鮮の性格を熟知しているため 巧みに言い寄り、信頼を勝ち得ていました。 一方、日本はロシアの特別訪問に神経をすり減らしていました。 ロシアは自分を奴隷にするかもしれない。 無意識のうちにそう思ってしまうほど、ロシアは強大でした。 ふらふらになりながらも、その恐怖を顔に出さないようにしていた日本ですが、 大津の間で理性を失い、押さえていた恐怖心が爆発しました。 思わずロシアを殴ったのです。 ロシアは一瞬何が起こったのかわかりませんでしたが、 すぐに日本の両手首を掴み床に押し倒しました。 押し倒された痛みで理性を取り戻した日本は恐怖と苦痛を顔に浮かべながらも、 わずかに残っていた勇気を振り絞り、震える声で言いました。 「き…ちんと決め…た日本家のルー…ルに沿…って、お詫びし…ます」 ロシアはちっ、と舌打ちをしながら掴んでいた手を離し、 「とっとと詫びの気持ちを見せろ、楽しみにしておく」 といい、帰って行きました。 あのまま日本を引き裂いてもよかったのですが、第一、トルコやヨーロッパのことがありましたし、 極東の小国にかまって中国を刺激すれば面倒なことにもなります。 最大目標の南下のため、ロシアは計算や思惑をめぐらせていたのでした。 23 名前: |・∀・) ◆lCQS9mvwPw 04/03/08 16:14 ID:eOQTC7PK 日本としてはとりあえず現時点での危険は避けられましたが、このままでは ロシアは確実に報復してくると思われました。 日本は急遽ルールの適用方法を変更しようかと思いました。 しかし、そんなことをすれば、ヨーロッパ諸国の嘲りを受けることになります。 例の約束の撤回という目標のためには、これ以上侮られるわけにはいけませんでした。 このことでロシアと争い、結果奴隷になるかもしれませんが、既に決めていたルールに則り、 ロシアへ謝罪文を送りました。日本は賭けに出たのです。 ロシアは日本からの謝罪文を読み、 「貴殿の誠意は受け取った、反省しているのならそれでよい」 と返事しました。 日本が強気で出てきたことに少し驚きがありましたが、ヨーロッパ情勢との兼ね合いなど いろいろと考えた結果、こうすることが一番よいと判断したのでした。 日本は危機的状況を回避きたことに安堵し、また、捨て身の賭けに勝ったことで 自信を持ち始めました。 そして、イギリスは遠く離れた地からこのやり取りを興味深く観察しているのでした。 (つづく) 30 名前: |・∀・) ◆lCQS9mvwPw 04/03/08 20:06 ID:eOQTC7PK 解説というかなんというか。萌えがないので。 当時ロシア帝国皇太子であったニコライに日本の警官が切りつけた大津事件。 #のちに皇帝になったニコライは日本に対して個人的な恨みを持っていたと #言われております。黄色い猿発言などありますし…… #(当時、アジア人は全部黄色い猿と呼ばれてたけど) もう少し後で起こる第一次世界大戦のきっかけがオーストリア皇太子夫婦暗殺であったように、 この事件をきっかけに日露間の戦争がおこってもおかしくないと当時誰もが思いました。 現代におきかえると、北朝鮮に派遣されたアメリカ政府の高官が、 北朝鮮の警護の人にナイフで刺されて重症、みたいなもんですな。 ただ、この"北朝鮮"を"中国"に置き変えるとどうでしょう?また"韓国"と置き変えたら? 国際情勢、関係によっては戦争を開始する口実になりかねない、ていうことです。 幸いなことに、当時の日本とロシアは一次大戦前のヨーロッパのような 一触即発な緊張状態ではなかったこと、(大津事件ではじめて緊張状態になったようなもの) ロシアも日本と(今)戦争をする必要性がないと判断したこと、 事件後の明治政府の対応などに不手際がなかったこと、 などで戦争がおこらなかった、起こす必要がなかっただけなのですよ。 31 名前: |・∀・) ◆lCQS9mvwPw 04/03/08 20:08 ID:eOQTC7PK >>30のつづき ロシア国内は社会主義勢力による皇帝アレクサンドル2世(ニコライの祖父)の暗殺で アレクサンドル3世(ニコライの父親)が即位していましたが、政治や国内情勢が非常に 不安定化しており、また、バルカン問題、穀物関税問題で対立したドイツを牽制するため 露仏同盟を結ぶなど、ヨーロッパ方面で起こった問題がロシアにとって最重要課題でした。 また当時は、中国が(老いた)大国として存在していました。 ヨーロッパ諸国にとって中国は、極東のトルコという感じの認識(ただ、自分たちの国から 遠く離れているため本格的に積極的に手を出さず)だったので、 ロシアはそちらのほうを警戒していました。 日本との開戦は確実に中国を刺激します。 中国との戦争になれば、クリミア戦争のようにロシア側にもかなりの被害が出るだろう 認識していました。 つまり、極東にかまっている暇(余力)がなかった、という部分があったわけです 朝鮮からの密使問題でごたごたしたときにすぐ手を引いちゃったのもこの辺の理由があったりします。 後から振り返ってみれば日本側にはもちろん、ロシア側にも戦争する余裕がなかったことが わかりますが、当時はそんな事情はなかなかわかんないからね…… 以下続きはありません。 |